『ハイライト』改変について

 

 

以前観劇時に『ハイライト』の演出が一部変更となっている点についてレポを残しました。

 

 

tomstage.hateblo.jp

 

 

感じたことをまとめましたので別記事にはなりますが掲載してみます。

 

 

 

注意

※新歌詞についてのネタバレ

※↑しかもあくまで聞き取れた範囲での歌詞

 

 

 

 

 

 

◇そもそもハイライトって

 

元々『ハイライト』という歌は、後編では描かれないS3〜D1までの試合をダイジェストで振り返ろう!という趣旨の楽曲です。

 

勝戦への想いを交互に歌いあげる両選手陣が、試合のハイライトを演じる選手を囲んでいます。

 

センターでは試合が行われておりますが、周りの選手はベンチワークなどを行うわけではなく、ただ歌っています。

 

なので私は今までこの歌を、「全国中学生テニストーナメントに携わった全ての選手たちの想いの概念としての歌」だと認識してきました。

 

 

 

試合をしている選手以外の周りの演者はその試合の観客であり、傍観者

試合を観ている観客の中にはベンチに座る勝戦当事者同士も含まれるため、青学や立海含む全てのテニスプレイヤーが『ハイライト』を作り上げている。

というイメージです。

 

 

 

というのも、この歌の歌詞はあまりに抽象的です。

 

 

 

青学 絶対に勝つ それだけで生きてきた

立海 絶対に勝つ それだけの毎日

青学 絶対に勝つ 俺がナンバーワン

立海 絶対に勝つ それが生きてる意味さ

 

立海 お前を負かす それだけで生きてきた

青学 お前を負かす それだけの毎日

立海 お前を負かす 俺がナンバーワン

青学 お前を負かす それが生きてる意味さ

 

 

もちろん青学、立海の歌と読むことが可能です。

特に「絶対に勝つ それが生きてる意味さ」なんていかにも立海ぽい。

でも同じワードを繰り返し交互に歌っているので、聞いた時のどっちがどっちという印象がそこまでないのが珍しい。

 

 

 

テニミュでは複数校で歌う時、パートが分かれるならば青学は青学らしく、立海立海らしく歌うものです。

 

1stシーズン関東立海の『Finalist』を思い出して下さい。

 

あれは青学も立海も、ほぼ同じようなことを謳っていますが立海パートは立海らしい歌詞になっています

不二と赤也の「選ばれし者 勝ち残った者

博士と教授の「予測される激戦に備え

などは同じ歌詞を歌ってますが、

青学ここで勝たなきゃ今までの試合が水泡に帰す

立海気分引き締め全国大会王座を目指そう

水泡に帰す、が青学っぽいかは別として全国大会王座を目指そう、はめちゃくちゃ立海ぽい。

 

 

 

立海ぽいというのはすなわち、その歌の主観者が立海の選手であるということです

 

 

 

楽曲後半、D1の試合が終わった後、四天パートも終わった後には立海と青学パートがあります

 

 

立海 ここまで来た

   これがファイナル

   我々の集大成

青学 みんなで来た

   ここが目的地

   我々の最終到達点

 

ここでは試合はもう終了していて、彼らも試合の傍観者ではなくなります。青学から「みんなで来た」という青学ワードがようやく飛び出すわけです。歌詞が当事者の立場の内容になりました。

 

 

 

試合のハイライトが終わって初めて青学立海当事者として歌い始める。

 

それを踏まえて新歌詞について考えてみます。

 

 

 

 

◇冒頭の立海パート

 

【旧歌詞】

立海 容赦のないアタック

   手加減知らずのつわもの

   ぶつかり合いせめぎ合い

   勝利者だけが手にする決勝
 

【新歌詞】

立海 最後の勝負だ

   勝つのは我々立海

   準備万端 隙はない

   優勝するぞ 抜かりはないか

 

 

どう変わったのか見てみます。

 

旧歌詞では立海メンバーが全国大会について抽象的に歌っているようにも、自分たちのことを客観的に歌っているようにも取ることができます。

("手加減知らずのつわもの"立海大附属のことを指すのか、真田の言うような「全国の猛者ども」を指すのかの違いです)

 

一方新歌詞では「勝つのは我々立海」と、ハッキリ名乗っています。

最後の語尾が「抜かりはないさ」かもしれず曖昧なのですが、いずれにせよ自分たちで自分たちのことを歌っているパートという認識になります。

 

抽象的な表現からはっきりと立海の当事者パートと呼べる内容に変化しているのがわかります。

 

 

 

◇S2中の青学パート

 

青学 ドンマイ ひるむな

立海 あと一試合

青学 挽回のチャンス掴もう

立海 優勝決める戦い

青学 試合の流れを引き寄せ

立海 これが最後だ

青学 勝利のポイントを重ねるのだ

立海 これが最後だ

 

(掛け合いなので聞き取りが難しすぎて間違っている可能性が高いです 「ドンマイ」と「挽回のチャンス」と「試合の流れを〜」以外自信ない)

 

夢見ていた栄光〜 以下は変更なしのためここだけ意図的に歌詞が変更になったのがわかります。

 

ここの旧歌詞は

青学 命取りの失敗
立海 あと一試合
青学 判断ミスして敗退
立海 優勝決める戦い
青学 どんな技も破られる
立海 これが最後だ
青学 絶対な事など何も無い
立海 これが最後だ

 

あまりにも物騒な歌詞です。

例によって立海の掛け合いは誰目線とも取れる抽象的な歌詞ですが、旧青学パート「判断ミスして敗退」はどう見ても青学が青学のことを歌っているパートではありません。

決勝で負けることを敗退と呼ぶかどうか微妙(トーナメントの途中で敗れることを指すイメージがあります)だし、ここは過去青学と戦って敗退した学校の想いと言われれば一番しっくりきます。

青学が大衆の世論を歌っている、ということです。

 

(「絶対なことなど何もない」「命取りの失敗〜どんな技も破られる」にかかっているのか、「どんな技も〜」と同列の歌詞なのかという議論については今回は置いておきます。

個人的にはライバルズのくだりで青学が出てきてこのパートを歌い上げる時の意味合いは前者、『ハイライト』での意味合いは後者なのかなと思っていました)

 

 

青学の歌を通じて過去対戦した学校の想いが現れている。

ここが青学らしい言葉選びのパートに変更になったということは、つまり

「全国中学生テニストーナメントに携わった全ての選手たちの想いの概念としての歌」から

「決勝戦、青学と立海の歌」シフトチェンジしたということなのではないでしょうか。

 

 

夢見ていた栄光〜 以下に変更がないのは、そこの立海パートが元々かなり立海主観ぽいからだと思われます

 

次の試合に託そう 当事者の発言ですしね。

 

青学が過去対戦したプレイヤーたちの想いを背負ったパートを歌った後に立海は自分たちだけの想いを歌っている、そんなところもらしくて良い…

 

 

 

結論、ハイライトの演出変更は「楽曲の主観者を当事者にするため」と考えます。

 

 

では、なぜそれをする必要があったのか?

 

 

 

 

◇削られた鎬

 

 

ギャグじゃないです。

 

D1のハイライト試合中の楽曲が従来『鎬を削る者たち』だったのが、今回カットされていました。

 

新歌詞はセリフにかぶってしまっているのもあってもう信じられないくらい聞き取れませんよね。

D1叫びすぎです。

 

一歩も引けを取るな

 

とは歌ってましたね…

他の歌詞聞き取れた方是非教えてください…

 

 

旧歌詞の『鎬を削る者たち』部分

 

鎬を削る者達よ
自らのプライドでコートを飾ろう
鎬を削る者達よ
自らのパワーでより偉大になろう
悔いのない試合を
輝ける勝利を
この手につかもう

 

ここの 悔いのない試合を〜 以降は続投でしたので、本当に一部だけカットされたという感じです。

 

もともと『鎬を削る者たち』は鎬を削る者たちの歌なので(すみません)、ライバルズやこの全国大会に携わった全てのプレイヤーの歌です。

 

1stシーズンでの『ハイライト』のポジションでは、青学や立海を通して過去対戦校たちの想いが概念として歌われているという内容だったため『鎬』の挿入は違和感ないのですが、今回の歌詞変更にあたって当事者同士の歌へ変更する際に『鎬』はちょっと違ったのでしょう。

 

 

最初聞いたときは、『鎬』は無くなって新曲になったんだな〜と思いましたがライバルズが普通にこの曲を歌っていたので、やはり

『ハイライト』は当事者の歌に、

『鎬』はライバルズの歌に、

という線引きを明確にしたかったのかなと思料。

 

 

ライバルズという、featuringとは違う全国立海後編のみの特殊演出をより際立たせるためにこのような改変が行われたのではないかと考えます。

 

ライバルズは決勝戦を見守ってしかるべき、ピラミッドを築き上げたプレイヤーたちなので、その立場をきちんと作るのは大切なことだと思います。

 

 

 

 

結論

 

今回の『ハイライト』変更は

・主観を当事者にした

・それによってライバルズの立ち位置を明確にした

と考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

いやなんの話。